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2016年07月14日

ソーファミリーの歴史

カンボジアシルクとは、元々王族のために作り上げた物と言われています。
位の高い王族達がカンボジアシルクを愛用されています。
カンボジアでは「シルクの物を身に付けると、幸運、健康的、若さを保ち、お金持ちになれると言われています。」。

ソーファミリーの歴史
ソーファミリーの歴史

祖母と父がおしゃれに取り入れていたカンボジアシルクを、自分の代になっても大事にカンボジアシルクの伝統工芸品を、次の代に残しておかなければならないと思っています。
ソーファミリーの歴史

僕が生後2ヶ月父と別れ、家族と親戚に囲まれて育ていました。
成人になってから自分のルートを知りたく、自分のお父さんがどういう人だったのか、母、祖母、親戚に聞いてみました。
みんなから父のストーリーを聞きながら、正に自分の性格と位置しています。本当にDNAの不思議だと感じています。父の顔を1度も見たことがないし、何も関わっていなかったにも関わらず、お話で父はどういう人物か頭に浮かんできます。血の繋がりだけであった証と言えるでしょう。ソー家の血が繋がって、DNAの不思議で自分もカンボジアシルクを大好きで愛用しています。
ソーファミリーの歴史

6世紀から今も作り方を変えず同じ手法で作り上げた商品を王族達、祖母、父が愛用していましたゴールデンシルク「黄金色の繭」の誇りを持っています。この伝統工芸品を発展させ守っていきたいと願っています。カンボジアシルクの良さを世界の人々に知ってもらいたい思いが詰まっています。もちろん、カンボジアシルクの良さを分かって頂くだけでなく、同時にカンボジアの文化を紹介できると思います。そういう思いがあって、日本の皆様にカンボジアシルクというものを、ソウタカンボジアシルク専門店を通してさせて頂いています。お店をオープンすることができるまでの、僕の人生もしくはソーファミリーの歴史を紹介させて頂きたいと思います。
ソーファミリーの歴史
ソーファミリーの歴史

僕のファミリー歴史を語らせて頂きます。
ソーファミリーはシェムリアップ州にある有名な地主であります。
どなたでも祖母のことを知っていました。家柄はもちろんそうですが、お仕事もできる方と言われています。
多くの方が祖母に頼ってきていました。

残念ながら去年で大好きな祖母が亡くなりました。
祖母が病気で弱くなってきたことが日本から知っていました。
去年の年末にお店に関わるお仕事で、カンボジアに行ってきました。
祖母に聞きたいことがたくさんありますが、残念ながら間に合いませんでした。
父、祖母、ソーファミリーのお墓参りに行くしかできませんでした。
ソーファミリーの歴史

ソーファミリーの波乱万丈とカンボジア歴史
昔から豊かなカンボジア王国であります。国中に金を取れて、金の国だと言われています。そして、使ってもなくならない豊富な自然資源があります。また、カンボジアでは自然災害がほとんどないおかげで、クメール人達は心配することがなかったです。国民は日常生活の過ごしやすさ、恐怖感もなく幸せに暮らしていました。さらにカンボジアのことはどの国の人でも、有名なクメール文化をよく知っていて、敬意を持っていました。アンコール王朝時代にものすごく強力な国で、たいへん名誉がアジア中に知られていました。
ソーファミリーの歴史

平和な国であったカンボジアは、1975年に内戦のせいで、極楽のような平和なカンボジアが破壊されてしまいました。
国民は早く立ち直ることを望んでいますが、なかなか終戦しなかったです。プノンペン首都では誰も住んでいない家、誰も歩いていない町、お金があったとしても使うことができませんでした。みなさんはこの町はどんなイメージしますか。プノンペン首都全地はお化けのように静かで恐ろしい光景でした。なぜなら、軍事力によってカンボジア国民は離れた遠い場所に追い出されたからです。カンボジア国民が忘れようとしても忘れられない記憶に刻まれてしまいました。
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僕が生まれ育ちシェムリアップ州はプノンペン首都から約413キロの距離です。
シェムリアップ州といえば有名なアンコールワットをはじめ、アンコール遺跡群素晴らしい遺跡がたくさんあります。
祖母は有名な地主で、シェムリアップ川の付近に住んでいます。大きな家に住み、田んぼもたくさん持ち、米の脱工場が何と5所もあり、金銭のことを一切困っていなかったです。そして、女中さんがたくさんいてたので、祖母は位の高い人の生活を過ごしていました。

やがて内戦のおかげで、全部の財産を取られてしまいました。それは天空から地面に落ちてきたようにでき事でした。そして、家族バラバラになってしまい、みなは死んだ方がいいと思っていたそうです。父と母は、祖母と別れて、ものすごく田舎の方に追い出されした。そこで性別、年齢に分割されて働らかせていました。働いてばかりにもかかわらず、ちゃんとした食事を取ることができなかったので、栄養失調で亡くなる方もいました。毎日1日早く終わってほしいと願ってたら1979に叶いました。国民はそれぞれの出身地に戻られました。

祖母と家族は自分が住んでいる街に戻ってきました。シェムリアップ州に戻られたら、元々自分の田んぼや工場を他の人に盗られてしましました。それでも、まだ残っていた田んぼと工場を守っていました。時代共に工場の役割が必要なく使わないことになっていました。まだ小さい子どもの僕が、友達と田んぼの方へ良く遊びに行っていました。祖母や家族から教えてくれた事によって、「あー昔ではここおばちゃんの田んぼと工場だったなと思いました。」取り壊した機会を手に触れると本当に祖母の物だったと実感した幼い僕でも分かっていました。本当にDNAの不思議しか言えません。
1982年(昭和57年)にシェムリアップ州(アンコール・ワット世界遺産が有名な街)に生まれました。

全ての人々に美しく格好良くステキな雰囲気でオシャレ度アップになってもらいたいです。
このお仕事に関わってから、自分のルートがハッキリと見えてきました。実は父は愛用してたカンボジアシルクをオシャレに着こなしてたそうです。オシャレな人で頑張った自分へのご褒美に、オーダーメイドの洋服を作ってもらっていたそうです。実は僕もカンボジアにいた時、生地を下ろす市場に行って生地の質や色を厳選して、自分の洋服にオーダーメイドを頼んでいました。生後2月ほどで父が亡き、父のことが何も知らないにもかかわらず、親戚や母にあなたはあなたのお父さんに似ているって言われました。特に仕草だそうです。DNAって不思議なもんですね。
これからも受け継いたDNAを大切にして、自分らしさを出して生きていきたいと思います。
どうか、よろしくお願いします。

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Posted by 望月 颯太 at 15:48│Comments(0)
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